奈良県田原本町に遺る『唐古・鍵遺跡』は、瓊瓊杵尊に先んだって降臨した饒速日命の奉斎地として有力視されている。
饒速日命を祖神としたのは長髄彦で、神武天皇東遷による大和入りまでは、長髄彦らの一族がこの地で『まつりごと』を行っていた可能性が高いと思われる。
饒速日命の末裔として有名なのが物部氏で、その氏神は石上神宮が知られる。
『日本書紀』によると,饒速日命は神武天皇の東遷に先んだち、大和の地に天磐船を使い降臨された。
また、生駒山を越えんとした磐余彦命(神武天皇)に対して、長髄彦は兄神とする饒速日尊の神宝を見せ天孫族の証拠を示し、これを退けた。
後に、金鵄が磐余彦命に追従するのを目の当たりにした饒速日命は磐余彦命の神裔としての正統性を認め、依然として磐余彦命と抗戦すべしと主張して聞き入れなかった義理の弟たる長髄彦(長髄彦の妻の兄が饒速日命)を自らの手で暗殺、磐余彦命に帰順する事となる。
そして物部氏の元祖になり,大和朝廷の重鎮として朝廷に仕えたとある。
饒速日命の末裔部族である物部氏は、饒速日命が所持した『十種神宝』を石上神宮にて継承している名門部族であったが、推古天皇の御代、聖徳太子の時代に、仏教推進派の蘇我氏と対立、その後表舞台から姿を消した。
しかし、その後も物部氏の血統を引く一族は多く存在し、神代の栄光を今に伝えている。
戦後の歴史教育では、我が国の正式な国史書『日本書紀』を教えず、中国の史書『漢書』の「魏志倭人伝」のみを子供達に教え、『卑弥呼』や『邪馬台国』といった中華思想下に日本を蔑んだ宛字を日本の古代史として植え付けられており、この偏向教育に怒りを禁じ得ない。
子供達は、日本人は真実を知る権利がある。
【饒速日命の奉斎した唐古・鍵遺跡 ~奈良県田原本町に遺る神域~】↓
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